2016/02/25

十二支の組木試作開始(木工生活)

前回、十二支の組木を切り抜いてみた。
専門の方のデザインを
使わしていただき
集中力を鍛える訓練をした。

その後、オリジナルデザインを考え、
絵馬の形の中に
十二支のをはめ込んでみたらどうだろうか?と
デザインをしてみた。

そのデザインを使って
作ったのが写真のものである。
オリジナリティーがでていると思うが
どうであろうか?


色付けもできるだけおさえて
淡い色でまとめてみた。

この作品を年末に向け
完成度を上げて行こうと思う・・・

2016/02/17

ローラーインガルスを訪ねて10(初冬の大草原)完

バーオークを離れデコアへ向かう
この街はノールウエーの人たちが
移り住んだ街という説明があった。



ミュージアムにはその人達が持ち込んだ
各種道具・家具・食器などが展示されている。


びっくりしたのは木工細工で
木の器などに
彫り物細工がされたものが多くあった。

また女性がよく趣味でやられている
ツールペイントの
パターンの柄が幾つもあり
ツールペイントの発祥の地はノールウエー???
など想いをめぐらしながら鑑賞をさせてもらった。

ミュージアムを後に
ミシシッピー川を見ながら


一路ウイスコンへと向かう。

今回の旅は初冬の大草原を
多少なりとも体験してみようと
計画したものであった。
幸い大雪にも合わず
インガルス家が実際に過ごした
大変厳しい大草原の冬の一端を
体験できた良い旅であった。

ただ米国の友人の忠告通り
常に危険との背中わせの旅であったことは
我々がその地を離れた後の
情報が教えてくれた。

もし何方がこの体験をしてみようと思われるのであれば
気象関係を十分調査し計画されることを望む。

ー 完 ー

2016/02/16

2月16日の曙光(東京での生活)

春一番の後は必ず寒波が来ると天気予報で言っていた。
2月16日の朝は
まさに天気予報どおりよく冷えた。

毎朝犬との散歩の時
ふと東の空を見ると
夜明け前、
曙光が美しくびっくり
何故このような陽の光が
まっすぐ上がるのだろう???



下の写真は山火事でも起こっているようだ・・・

2016/02/14

ローラーインガルスを訪ねて9(初冬の大草原)

バーオークは、ウールナットグローブで
2年連続バッタの被害を受け移り住んだところ。

父さんが働いていたという
ホテルの建物はまだ健在で
ミュージアムになっていた。
ここも残念ながら冬季休館。



隣の食堂で昼食を摂る。
食堂の叔父さん曰く
夏場はローラーインガルスを訪ねて
日本のツアー会社が企画したツアーで
大勢の日本人が訪ねてくるそうだ・・・
こんな田舎まで???びっくりである。



雑貨屋兼食堂で、店内は
郵便物の受け取りもしており
この街に住む人々の
メールボックスが設置されている。
住民はこの店に郵便物を取りに来る
システムになっているらしい。
このお店の方が
となり街に良い美術館があるので
立ち寄ったらどうかと言われ
デコアという街へ向かう。

2016/02/12

ローラーインガルスを訪ねて8(初冬の大草原)

大雪の予感を感じ、
早急にデ・スメットを離れたのは正解だった。
翌週ミネソタの方と
仕事である約束をしていた。
しかし、我々が訪ねた地域は
ブラックアイスで車を使うことが出来ないと
キャンセルの連絡があった。
もし早めに退却していなかったら
と思うとゾ〜トする。

ミネソタからアイオワ州の
バーオークへ向かう。
途中ローラ家族が住んでいたという
スプリング・バレーを通り
アーミッシュ村もあったが
立ち寄らず、南へ向かう。



アーミッシュ村は移民当時の生活様式を保持し、
農耕や牧畜によって生活をしている方々が
集団で生活をしている村。

その後目的地のアイオワ州バーオークに到着する、
バーオークはインガルス家がウォールナットグローブで
バッタの被害を受け
その後一時期移り住んだところである。

2016/02/09

ローラーインガルスを訪ねて7(初冬の大草原)

デ・スメットの街の探索を行うために、
インガルスの野外劇場を後にする。

最初に訪ねたのは、インガルス家が
秋になり鉄道関係の労働者がいなくなったため
測量技師に頼まれて住んだと言われている
測量技師の家へ行く。


インガルス家族は12月にこの家に移り、
快適な冬を送ったとのことである。

その後、父インガルスが建築をし、
父さん・母さんの終の棲家となった家に行く。
ミュージアムになっているが
冬季は閉館、外から眺めるだけであった。


ローラが最初に先生をした学校も
健在であった。
学校と言っても物置のような佇まいで
学校跡と言われなければ判らない。


街の道路標識には
インガルスアヴェニューのサインがある。


1989年に出来たという
キングスベリー群庁舎がある。


この庁舎はローラやその家族にとって
馴染みのある建物であると
言われている。

日本の宗谷岬(北緯45度)と
ほぼ同じ緯度のデ・スメット
本格的な冬の寒さは
まだまだであった。
でも、
1879年(明治12年)
暖房器具などもせいぜい薪ストーブ
食料も今のようなスーパーなどはなく
ひと冬分の食料を自力調達、それを蓄える。
冬を乗り切るためには随分苦労が
あったのだろうな〜〜〜など
想像するには十分な旅であった。

そんなことを思いながら予約した
ホテルに行こうと思った矢先、
雪が降り始め大雪になりそうな気配を感じた。

すぐにホテルをキャンセルし
その日の内に走れるところまで
避難しようと帰路に着く。
雪は予想通り大雪になった。
高速道路走行の車両は速度を落とし、
どの車も用心深い運転に変わってゆく。
ミネソタ州のジャクソンという街まで走り
宿をとった。