デ・スメットの街の探索を行うために、
インガルスの野外劇場を後にする。
最初に訪ねたのは、インガルス家が
秋になり鉄道関係の労働者がいなくなったため
測量技師に頼まれて住んだと言われている
測量技師の家へ行く。
インガルス家族は12月にこの家に移り、
快適な冬を送ったとのことである。
その後、父インガルスが建築をし、
父さん・母さんの終の棲家となった家に行く。
ミュージアムになっているが
冬季は閉館、外から眺めるだけであった。
ローラが最初に先生をした学校も
健在であった。
学校と言っても物置のような佇まいで
学校跡と言われなければ判らない。
街の道路標識には
インガルスアヴェニューのサインがある。
1989年に出来たという
キングスベリー群庁舎がある。
この庁舎はローラやその家族にとって
馴染みのある建物であると
言われている。
日本の宗谷岬(北緯45度)と
ほぼ同じ緯度のデ・スメット
本格的な冬の寒さは
まだまだであった。
でも、
1879年(明治12年)
暖房器具などもせいぜい薪ストーブ
食料も今のようなスーパーなどはなく
ひと冬分の食料を自力調達、それを蓄える。
冬を乗り切るためには随分苦労が
あったのだろうな〜〜〜など
想像するには十分な旅であった。
そんなことを思いながら予約した
ホテルに行こうと思った矢先、
雪が降り始め大雪になりそうな気配を感じた。
すぐにホテルをキャンセルし
その日の内に走れるところまで
避難しようと帰路に着く。
雪は予想通り大雪になった。
高速道路走行の車両は速度を落とし、
どの車も用心深い運転に変わってゆく。
ミネソタ州のジャクソンという街まで走り
宿をとった。